おもいかね

思ったこと、思い出など

イベリア半島一周旅行の思い出21(10/8 イタリカ)

10/8 イタリカ

セビージャは2泊するが、この日はイタリカのローマ遺跡に行くことにしていた。

 

イタリカはスキピオ・アフリカヌスによってポエニ戦争後の退役軍人を定住させるために建設された植民都市で、ローマの五賢帝のうち2人、トラヤヌスハドリアヌスの出身地でもある。

 

サンティポンセというセビージャ郊外の街の北西部にイタリカの遺跡がある。セビージャからは車で20分もしないで行ける距離にある。

 

無料の駐車場があるので、ここに駐車して歩いて遺跡まで向かう。

Google マップ

朝早いので犬の散歩やジョギングをしている人もいた。のどかな田舎という感じだ。

この時間帯はまだ涼しい。

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遺跡は広いので駐車場から西に進むとすぐ見えてくるのだが、遺跡の入り口が分からず、南側に進んでしまった。

 

遺跡近くのレストランもローマな感じ

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この広い敷地全てが遺跡
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南側から進むと、遺跡ではなく墓地に入ってしまう。

Google マップ

看板にCEMENTERIOの字が見えたので引き返した。

 

あらためて遺跡の入り口に向かった。

Google マップ

入口を入ってすぐ、アンフィテアトロ(円形闘技場)が見える

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が、ここは後で見ることにしてこの左側に進んでいく。

 

メインストリートの一つ隣の通り

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EDIFICIO DE LA EXEDRA
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イタリカで最大だった建物。

エクセドラ(応接間)がある建物で、柱があるところがペリスタイル、その奥がテルマエ、その隣にエクセドラがある、という作りになっているようだ

 

モザイク床のあるトイレ
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穴の空いている板が便座

モザイクには釣竿か銛を持った人と魚が描かれているのがわかる。漁の風景だろう

 

色大理石の床
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EDIFICIO DE NEPTUNO

バッカスのモザイク
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全体

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テセウスと迷宮のモザイク

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テルマエのモザイク

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中央部に半馬半魚で描かれたタツノオトシゴとネプトゥーノ(海神)がいる

周囲には鳥、人、イルカ、ワニなども見える

 

TABERNAE

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家主が賃貸収入の他に稼ぐ方法として街道を行く人に食堂経営もしていたようだ


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CASA DE LOS PÁJAROS(鳥の家)

鳥を飼っていたわけではなく、モザイク床に鳥がたくさん描かれていたのでこう名付けられた

サロンのモザイク
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いろんな種類の鳥が描かれている

 

ララリウムの跡(祭壇)
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日本でいうと仏壇にあたる。

神々とご先祖を祀る祠が設置されていたらしい

 

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屋内のビオトープとして使われていたらしい

 

貸室
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住居は中央に中庭があり、中庭の奥が家主のプライベートエリア、中庭手前が共用部、中庭の両側に賃貸用の小部屋が並んでいる、というのが1世紀頃の家の作りだったようだ

食堂も近くにあるし、公衆浴場もどこにでもあるので賃貸住まいの庶民でもキッチン風呂なしのワンルームで暮らせたのだろう

 

CASA DEL PATIO RODIO

ロードス風の中庭の家

 

貸室
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中庭のモザイク
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CASA DE HYLAS

モザイク床の中心にはギリシャ神話の神ヒュラースが描かれていたようだが、今はセビージャ考古学博物館に保管されている

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CAÑADA HONDA

イタリカのメインストリート
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通りの左側には家や食堂、右側にはトライアネウムやヒュラースの家がある

トライアネウムはハドリアヌス帝時代にトラヤヌスを祀るために建設された寺院だが、未完成で終わっていたようだ

トライアネウムだけを取り上げた解説パネルはなかった

 

CASA DE CAÑADA HONDA

トライアネウムの東隣りに集合商業施設がある
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中央に泉があり、それを囲むように食堂が配置されている。

フードコートみたいなもの。メインストリート沿いにあったので当時は賑わっていたのだろう。

 

PANADERÍA
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パン屋。パン窯が残っている

どんなパンを焼いていたのだろうか。

 

CASA DEL PLANETARIO(惑星の家)

モザイク床にローマの神々が描かれた家
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中心はソール(太陽神)、中央奥がルーナ(月の女神)、そこから反時計回りに、マルス(火星、戦神)、メルクリウス(水星、商業の神)、ユピテル木星、天空神)、ウェヌス(金星、愛と美の神)、サトゥルヌス(土星、農耕神)となっている

解説パネルもアップしておこう

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暑くてじっくり読む気にはならなかった

 

バッカスアリアドネのモザイク

中心にバッカスアリアドネが描かれている
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他のモザイクも綺麗だ

 

街中の家はモザイク床があったり浴場や食堂もあって豪華なのだが、農村部の家の作りがどうだったのかも気になる

が、その時代の家は何も残っていないので知りようがない

それを考えると古代の竪穴式住居がどんな様子だったか分かる日本はけっこう恵まれているのかもしれない

 

ANFITEATRO

 

闘技場に戻ってきた。遺跡の入場口にあった門とは反対側の門

PUERTA LIBITINARIA(リビティナリア門)
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リビティナは葬儀や埋葬の神なので、敗者がここから運び出されたのかもしれない

ちなみに遺跡入場口側の門はPUERTA TRIUMPHALIS(勝者の門)という。

 

中はこんな感じ
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通路脇に謎の足形があった
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子どもの足の大きさなので入場制限でもかけられていたのか、貧しい子どもがいる家庭が寄付を募っていたのか…

書かれている文はラテン語だと思うが、何と書かれているかは翻訳ツールを使ってもよくわからなかった

 

イタリカはここまで。