おもいかね

思ったこと、思い出など

イベリア半島一周旅行の思い出13(10/4続メリダ)

10/4 メリダ・ローマ円形競技場  Circo Romano de Mérida

前日は川沿いを見てまわったのでメリダ2日目は川から離れたところを見てまわる。

9時開館のところが多いので開館時間ちょうどを狙って歩いていく。この時間帯はとても涼しい。20℃前後。

 

円形競技場はメリダの町の北東にある。

Google マップ

Circoはスペイン語でサーカスとか円形競技場を意味する。ラテン語だとCircus。サーキットの語源だ。ギリシア方面ではヒッポドロームという。

古代の競馬場。走るのは単騎ではなく4頭繋いだ戦車(チャリオット)なのだが、まあやってることは同じく馬のレースだ。

 

ゲート方向

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奥の方でターンして戻ってくるのだが、ヘアピンカーブなのでチャリオットの車輪への負荷は相当大きかったのではないか、と少し想像した

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ヘアピンコーナー側から

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石が組まれているのは観客席

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とても広い。

解説パネルによると、全長433m、全幅114m。

この競技場は紀元前1世紀頃に建てられたもので、イベリア半島の中でも最古の建造物の一つ。

約100年前に発掘がされるまでは大麦畑だったようだ。

マドリとリスボンを結ぶ高速道路が建設されかけたようだが、この遺跡のために中止になったらしい。高速道路は他の場所でも通せるけど遺跡はここにしかないから仕方ない。

掘ったら色々出てきて建設が難しくなるのは歴史ある町ではどこも一緒なのだ

 

戦車が出てくるゲート跡

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レースは4組のチームに分かれて競われており、チームカラーはそれぞれ赤、青、白、緑で、春夏秋冬を表していたらしい。

 

競技場中央にあった構造物

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何か建てられていたんだろうけど、調査でも何に使われていたか不明らしい

 

併設の資料館の展示

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もともと宗教的な意味があったのだとか。

馬4頭をつなぐ戦車はクワドリガ、御者はアウリガというらしい。

 

当時の再現模型
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チャリオットの車体は軽量で壊れやすかったらしい。まあスピード出すには軽くするしかない。
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やはり事故は頻発していたようだ。

あの広さを4頭の馬に引かれて7周もすれば、レースが無事終わっても車両はボロボロになっていたに違いない。

 

競技場をテーマにした作品の解説
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チャリオットレースが使われた作品。ゲームもある
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アウリガの解説
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スペイン産の馬は人気があったらしい
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競技場の建物も神話と関連した象徴的なものだったとのこと
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解説図
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この円形競技場が現役だった頃の人々の熱狂具合を見てみたいものだ。

 

サンラサロ水道橋 Acueducto de San Lázaro

前日行ったのとはまた別の水道橋が競技場のすぐ近くにある。

Google マップ

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すぐ近くにテルマエもある。
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汗だくで観戦していた市民が、レース後、湯に浸かりながらここでどのチームが良かったとか話をしていたのだろうか。

温泉併設の競馬場とかサーキットというのは現代にはないものかもしれない。

 

ヘノドキオ Xenodoquio

Google マップ
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西ゴート王国時代の病院だったらしい。

遺構があるのみで特に建物が残っているわけではない。

ゲルマン民族移動後の世界は医療施設はないものと思っていたが、意外とちゃんとしていたのかもしれない。

 

レイエス・ウエルタスの温泉  Termas Romanas de la Nieve(雪のローマ浴場)

Google マップ

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ここは説明パネルが日に焼けていたり掠れていたりでほぼ読めなかったが、どうやら冬の間の雪や霜を溜め込むものだったらしい。

ずいぶん複雑な作りだ。

 

円形闘技場とローマ劇場 Anfiteatro, Teatro Romano

メリダの中心部に円形闘技場と劇場がある。

Google マップ

 

まずアンフィテアトロ Anfiteatro (円形闘技場)。

グラディエーターの試合が行われていた。

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中央の緑の部分は当時は木の板が張られていて、その上で戦ったらしい。

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倉庫か猛獣の檻があったところか
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ここからアリーナに降りられる

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剣闘士のパネル
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防具のバランスが悪い気がするが、流血前提のイベントで防具で身を固めるなど考えられなかったのかもしれない。

 

貴賓席
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アーチを抜けると
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こちらは劇場。演劇だけでなく他の公共目的(演説とか)にも使っていたらしい。
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柱の間に像が設置されている

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外壁
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通路
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劇場の裏には庭があり、皇帝の像が並ぶ

アウグストゥス
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手前がティベリウス(第2代皇帝)、奥が大ドゥルーススティベリウスの弟)
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向かいにも同じような像を置く窪みがあるのだが、像はなかった。

ここらへん一帯の施設はアウグストゥスの右腕のアグリッパが建設の資金を提供したようだ。州都にふさわしい施設を整えようとしたのだろう。

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劇場舞台の裏側
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モザイク床と色鮮やかな壁
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井戸

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当時はどんな感じだったのか想像するのが楽しい
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国立ローマ博物館

闘技場と劇場の向かいに博物館があり、メリダ出土のローマの遺物を展示している。

Google マップ

展示品がものすごく多い。

 

入ったところ
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ローマ神話の神々や皇帝などの像

だいたい皇帝だろう
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仮面
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小さい石像のかけら
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エメリタ・アウグスタの復元模型
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当時、闘技場と劇場は町の端の方にあり、円形競技場に至っては郊外にあったようだ

 

墓碑
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モザイク床は壁に展示されている
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像の大きさから面積が分かるだろう。


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モザイク画
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家を再現したエリアも
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牛はローマ時代は生贄に使われていた。

 

ランプ瓶
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ガラス瓶もある
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歴代皇帝とその時代の貨幣

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モザイク床など

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大きい。

 

ちなみに博物館の地下は未展示の出土品や発掘現場の展示になっていて、これからまだまだ発見がありそう。

金貨一枚くらい発掘してみたいものだ

 

 

アンフィテアトロの家 Casa Romana del Anfiteatro

アンフィテアトロの裏にあった家の遺構

入口近くの水の塔

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水路の監視塔?があったようだ

水路の獅子の彫刻

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テルマエの熱送風機構
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至るところにモザイク床がある

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メリダは内陸の街だけど海の生き物のモザイク画があった。

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内陸の民は海に憧れるのか、内陸でも海の幸が届く繁栄ぶりを示しているのか。家のオーナーが単なる海好きだった可能性もある。


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誰かの墓
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ダイアナ神殿

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でかい。

鳩がたくさんいて衛生的保存的にどうなのと思った。

ローマ推しするのはいいけど遺跡はちゃんと保全してほしい。まあ遺跡が多すぎてどうしようもないのかもしれないが。

 

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神殿の柱が並ぶ奥にある建物は資料館になっていて、ダイアナ神殿の構造、ローマの宗教とキリスト教の台頭、イスラム教徒の侵入、レコンキスタ以降のダイアナ神殿にまつわる歴史が解説されていた。

 

この時点で14時過ぎており、気温も35℃近い。

お腹空いているのと、暑いのと、日差しが強くて体力を奪われまくっていたのでさすがにお昼を食べることに。朝食も食べていなかった。

 

昼食

昼はこちらのバルでいただいた

MAMA ROUS TAPAS BAR

Google マップ

 

コーラ

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パエージャ?
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自家製バーガー
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コーラが沁みる。

パエージャは今回の旅行で初めて食べた。というかバルでこのサイズをお通しに出してくれるところがあるんだと驚いた。

バーガーもボリュームたっぷり。バンズは2種類あって選べるが、選ぶ気力がなかったので最初に言われた方にした。何を選んだか覚えてない。

チーズも、薄いとろけるチーズみたいなやつではなく、ちゃんとした塊のチーズ。香り的にはヤギ乳のチーズかな。

 

お昼を食べ終わってから最後の遺跡へ。

 

ミトレオの家と墓地 Casa del Mitreo y área funeraria de Los Columbarios

この遺跡は泊まっていた宿からも少し見えた。宿の向かいにある遺跡。

モザイク画もちゃんと残っている

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雨水を貯める貯水槽
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庭跡
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宿屋の跡
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ここも宿屋の跡。半地下。
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壁のペイントも残っている

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この遺跡はメリダ市壁の外にあって、旅人向けの宿をやっていたようだ。

 

この宿の近くには墓地もあった。

墓石や石棺が並んでいる。

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納骨堂もあった。

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こんなところでメリダ2日目の遺跡見学は終了。

 

夕食

夕飯は前日のお店とは別のバルにした。

コロッケ

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エストレマドゥーラ産の子牛のステーキ
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緑色のタレはオリーブオイルとニンニクと何かハーブを混ぜたもの。

おいしかった。焼き加減もちょうど良い。

できれば食器にもこだわってほしい。

 

バルのお兄ちゃんが丁寧に接客してくれたのだけど、方言が強いのか聞き返さないとわからなかった。

¿esta bien?→¿ta bien?

とか。

そういえば宿の受付の人も半分くらい何言ってるのかわからなかった。

 

メリダはここまで。

次はコルドバに向かう。

 

メリダ2日目の経路

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