10/5 メディナ・アル・ザフラー
メリダからコルドバに向かう途中で寄り道をする。ホテルの横のガソリンスタンドで給油をして出発。
この日も日差しが強い。
オリーブ畑
麦畑
ソーラーパネル
牛の放牧地
スペイン南部はこんな風景がずっと続く
散々お世話になったレプソル
名もなき砦
3時間程走ると寄り道先に着いた。
写真中央の建物がザフラー宮殿…ではなく修道院だ
ザフラー宮殿のビジターセンターで展示品や解説を見て、宮殿まではバスで行く。
ビジターセンターのチケットに往復のバス料金も含まれている。
ザフラー宮殿は、名前の感じからしてラテン文化のものではない。イスラム統治時代のかなり大きい宮殿だ。
時代としては後ウマイヤ朝にあたる。首都コルドバの離宮として当時のカリフであったアブドアッラフマン3世によって建設されたようだ。
ザフラーはアラビア語で「花」という意味らしい。
ビジターセンター
ビジターセンターでは遺物の展示のほか、割とちゃんとした上映施設があり、ウマイヤ朝の歴史と宮殿の構造やイスラム文化についてのムービーが流されている。
宮殿に使われた石材の解説
多くはこの近くの採石場からだが、大理石はポルトガル産のものもある。
アラビア語の碑文
アッバース朝が興ってから、後ウマイヤ朝では元のウマイヤ朝の文化から独自に発展していったとのこと
宮殿の立地についての解説。山を背に、社会的な階級ごとに区画が分かれていたようだ
水の供給についての解説。周りには水辺がないし、コルドバの街を流れるグアダルキビル川までもかなり距離がある。
どうやら山の湧き水と、ローマ時代の水道橋を再利用していたらしい。
あとは歴史の解説が多かった。
後ウマイヤ朝は領土拡張はせず、イベリア半島南部とマグレブ(モロッコなどの北西アフリカ)に留めていただとか、アブドアッラフマン3世がアルメリア市に海軍基地を作ったりだとか。
宮殿全体の復元模型
貨幣や器など
アーチの装飾
使われていた食器類
宝箱
四足獣を模った水差し
宮殿
送迎バスで山を登っていく
入口でチケット(ビジターセンターのチケット)を見せて入場する
いい眺め
糸杉の左奥にコルドバの町がある
高い階級の人ほど高い位置に住んでいたらしい
通路
遠くにアーチが見える
色々な区画があったようだ
北門の食違
居住区画
アーチ
まさにイスラム文化って感じのする大ポルティコ
この大きいアーチのあるところはアルマス広場
カリフはこのアーチの上から軍の行進とかを見ていたらしい
そこから南東方向
この門から左方向に向かう。
当時はもっと水辺や木々があったんだろう
なかったら石造の宮殿にこの日差しで人間が生きていけるわけがない
また門が出てきた
高級エリアにある首相官邸の受付の門らしい。
装飾が目を引く。
裏側
パン窯
広そうな一角
ザフラー宮殿はここまで
イスラム圏の偉そうなおじさんがガイドと一緒に来てたけど何言ってるのか全くわからなかった
メリダからザフラー宮殿までの経路