10/3 メリダへ
コンスエグラを出て、メリダへ向かう。
エストレマドゥーラとは「ドゥエロ川の向こう側」という意味。レコンキスタ時代にキリスト教諸国から見たイスラム勢力の支配地域を指す言葉だった。
コンスエグラからの移動中、なぜかGoProを使わなかった。バッテリーがなかったのか…?
自分は前を向きながらiPhoneを横に向けて撮っているので少し傾いている
遠くに山脈が見える。おそらくシエラ・デ・グレドス国立公園。
日差しが強い。長袖を持ってきていないので腕が焼ける。
途中に要塞が。名前はわからない。
メリダに着いたのは15時半頃。
とても暑い。
宿に車を停めて、そこから遺跡を見に行く。
宿はここ Hotel Zeus Mérida
町の南はずれにあるホテルだが、すぐ近くにガソリンスタンドもあり、スーパーまで歩いて5分くらい。便利だ。
あと名前が良い。
メリダも歴史ある町で、古くはエメリタ・アウグスタと言った。
至るところにローマ時代の遺跡がある。遺跡群は世界遺産になっている。
元々ローマ属州ルシタニアの州都だった。ルシタニアはだいたい今のポルトガルの南半分とスペインのエストレマドゥーラ地方を合わせたエリア。
マリウスやカエサルもここまで来てこの辺りを征服し、アウグストゥスの頃にルシタニアとして属州化された。
宿の通りを挟んだすぐ向かいにも遺跡があるが、これは翌日行くことに。
まずは一番宿から遠い水道橋を目指す。
奇跡の水道橋
なぜ奇跡と名前についているのかわからないが、メリダの水道橋もセゴビアと同じく保存状態が良い水道橋の一つだ。
町を縦断して水道橋まで行く。
アルカサバの一角
スペイン広場
広場を抜けるとトラヤヌス門がある
そこからさらに北に
住宅街を抜けると…
水道橋の柱が残っている
解説パネル。水が通っていた上部1/3くらいは失われている。
水道橋のある一帯は公園になっている
あまり日陰がないので立っているのが辛い
アルバレガス川と水道橋
川の上を水道橋が通るというのも変な感じがするが、それだけ人口が多く、飲み水の需要が大きかったのだろう。
日差しが強烈
上部1/3が失われていてもこの高さなので、当時はもっと高かった。写真におさまりきらない大きさだったんだろう
近くにローマ橋もある。
公園を一周したので次の遺跡に向かう。
途中にあったルシタニア橋。
この橋を真っ直ぐ70kmほど進むとバダホスという街に着く。その先はポルトガルだ。
グアディアナ川沿いの道。木陰があるが、それでも暑い。
ローマ橋
ルシタニア橋の南にある、ローマ時代の大きな橋だ
ここも世界遺産。
橋の近くにロムルスとレムスの像がある
ローマ橋の解説パネル
中洲に堤防も作られていたようだ
こうして見るとけっこう長い橋だというのが分かる
ローマ橋の上
日陰がないので非常に辛い。
橋からアルカサバの壁
川に亀がいた。
アルカサバ
アルカサバはもともと軍の駐屯地として作られたらしい。
入口
ローマ時代はこの入口の手前に「橋の門」があったようだが、イスラム教徒(ウマイヤ朝)に征服されてからこのアルカサバを作るために解体された。
イスラム教徒に征服されてからは町はマリダと呼ばれていたとのこと。
右側が橋から見えていた壁
入口方向
広い
ローマ時代の城壁跡と、西ゴート時代の補強跡
壁の上から先ほどのローマ橋
あの建物が気になったので近づいてみる
中に入れる
ここは給水所だったようだ
川から引いた水をここで汲める
よくみると小魚も泳いでいる
大きいオリーブの木
給水所の2階はイスラムの礼拝所になっていたらしい
礼拝所だったところ
石臼や石柱などの出土品も展示されている
石臼でオリーブを挽いて、油やペーストを作っていたらしい
兵舎跡地
兵舎前の舗装路
ここはレコンキスタ後に騎士団が使っていた屋敷の一部
とにかく暑かった
夕食
暑いので宿に戻って休むことに。
スーパーで水とパックのコーヒーを買った。
夕食は宿の近くのバルで
Café Bar Lematier
買い物をした帰りにお店を見てみたが、営業開始は21時以降だった。遅すぎる。
21時を過ぎてから訪問
ビールを頼んだ
ナッツは塩辛かった
地元民が飲みながらサッカーを見ている
Patatas Bravas パタタスブラバス
ピリ辛なソースがかかった揚げ芋
Dorado extremeño ドラド・エストレメーニョ
この地方の名物らしい。直訳すると「エストレマドゥーラの黄金(の料理)」か。
細切りにした芋と卵を炒めたもので、うちでも作れるシンプルさ
芋で二品被ってしまったが美味しかった。
少し脂っこかったが、暑い中歩き回って疲れた体にはちょうどいい。
次の日も遺跡巡りをするので宿に戻ってすぐ寝た。
メリダ1日目の経路