おもいかね

思ったこと、思い出など

海の生き物と生存戦略

趣味でスキューバダイビングをする。海の中では潜るたびに色々な生き物が見られる。

たまに何もみられないときもあるのだが、まあそういうときもある。

 

ライセンスを取り立てのときなどは、海の中の風景に感動する。

海の中から見上げる太陽は波で歪んでいたり砕けたように見える。砂地に波やうねりでできる砂紋も美しい。

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潜り慣れてくると、じっくり生き物を観察する余裕が出てくる。

小型の生き物は基本的に臆病で、すぐ穴や珊瑚の隙間に隠れる(いきなり自分の何十倍もある大きさの生き物が目の前に現れたら当然そうなる)。

大型の生き物は餌を取るとき以外は基本的には他の生き物を攻撃せず、ゆったり穏やかにしているように見える(余計なことにエネルギーを使いたくないだけかもしれない)。

イルカは遊びで魚などを攻撃したりするようだが、脳も発達しているし、これは例外だろう。

 

さらに慣れてくると、擬態したり隠れている生き物とも目が合うようになる。見つかってない風を装っているのか、擬態などに自信があるのか、大きい生き物に見られているから怖がっているのか、どういう心境なのかわからないが、生き物と目が合っている時間は面白い(目がある生き物に限るが)。

 

多様性

海の中に限った話ではないが、生き物にはそれぞれ生き残るために身につけた能力や特徴がある(生き残った結果特徴的になったものかもしれない)。

 

瞬発力ある筋肉、大きな口、鋭い歯、棘、鋏、毒、硬い甲羅や鱗、粘液、擬態能力、超音波など。

自分の縄張りが侵されたり自分自身が攻撃されたりしたときの防衛反応として、あるいは餌を確保するためにこれらの能力や特徴を活用する。

 

深海の生き物は逆に不要なものは切り捨てて、必要最小限で生きているものが多い印象だ(まだ深海の生き物には海中で遭遇したことがない)。

 

ほかにも人間が知らない変わった能力や特徴を持った生き物もまだまだいるかもしれない。

 

生き物が多様なことも含めて海の中は美しい。

 

反射的な肯定感

社会人になってから潜りに行ける機会も減ったが、海への憧れは消えず、たまに潜りに行くときはその美しさと中性浮力による浮遊感を強く噛みしめている。

 

あるとき、ふと、その持ち合わせた能力や特徴は全て彼らのご先祖が生き残るために必要だったもので、今生きている彼らがこの先生き残るためにも必要なものなのだと思った。

生き残るために、必死に今持ち合わせている能力や特徴を最大限に活用している。より生き残りやすい(能力や特徴を発揮しやすい)環境を探すことも生存には重要だ。

 

色々な生き物が色々な形をしながらなんでもありの世界で生命活動しているのを見ると、私も自分のできることをやって生きていて良いのだと思えてくる。

毒を溜めようが棘を纏おうが砂に隠れようが、何をしても生き残ったものが勝ち。

生き残る手段、方法、選択にどんな評価がされても、生き残ったらそれが正解だったということだ。

死ぬまではそれが正解か不正解かはわからないが、死なないうちは少なくともその瞬間は不正解ではない。

 

海の中は弱肉強食以外のルールがない残酷な世界ではあるけど、それゆえの美しさがあり面白さがある。

 

自己肯定感をどういうときに感じるか。

私は海に潜っているときであり、こういう残酷な多様性を目の前に見ているときである。

色々な生き物がいるから、自分の存在も当然に許されているような感覚になる(本来許すも許されるもない)。

世の中で活躍して他人から認めてもらうことによって自己肯定感を得ることを否定はしないが、私はそこには大して価値を感じていない。能力や特徴を発揮していること自体に価値があって、そういったところに対する外部からの評価はオマケなのだと思っている。

 

まあそのオマケに収入などが左右されてしまうから困るのだが。

 

人間

海から陸地に戻るが、社会に出て飯を食うためには、働いて対価を得なければならない。当たり前といえば当たり前だ。

働くこと、何かしらの結果を出すために能力や特徴を発揮すること、で食事にありつける。

 

多くの場合、何かしらの組織にその能力や特徴を買ってもらい、組織として成果を上げていくことになる。人によっては潜在的なものを買ってもらい、人によっては顕在的なものを買ってもらう。

 

能力や特徴がないならば身につけるしかない。人間においては知識、経験、人格だろうか(人格を身につけるというのは違和感ある表現だが、今あるものを少しずつ変えていくことはできる)。

大抵の人は海の生き物のように体内に毒を持ったり硬い甲羅を持ったりできないし(毒を吐く人や面の皮の厚い人など特徴的な人も中にはいるが)、あったとしてもあまり人の世では役には立たない。

これまでどんな環境でどういう知識と経験を身につけたか。どういう人柄か。これからどういうところでどのように生きていきたいか。生き残るためにはぼんやりとでもよいので常に考えておく必要がある。

 

色んな人がいて色んな価値観があっても良いが、生き残るために必要な能力や特徴は環境に適したものでなければならない。

高い収入を望むなら相応の能力と特徴が必要だし、適切にそれらを発揮して成果を上げる必要がある。そこまで求めていないならほどほどでよいのだが。

いずれにしても働くことが人間が生存するには必要なことなのだ。能力や特徴を発揮しなくても生きていける環境があれば良いのだが、残念ながらそんな環境はない。

 

海の生き物は、というか人間以外の生き物は、こんなめんどくさいことは考えず(脳がそこまで発達してないというのはあるが)、生存本能だけで自分の持ち合わせの能力を使って生き延びようとしている。

とはいえ人間である以上どうしても考えてしまう。新たな環境に適応したり学習していくことができてしまう。生存する以上のことを欲張ってしまう。人間はめんどくさい生き物だ。

もっとシンプルに生きていければ良いのにと思う。